chikusai diary

昭和という時代に どこででも見ることができた風景を投稿しています。

恐山 賽の河原の物語

これはこの世のことならず、死出の山路のすそ野なる、 さいの河原の物語、十にも足らぬ幼な児が、さいの河原 に集まりて、峰の嵐の音すれば、父かと思ひよぢのぼり、 谷の流れをきくときは、母かと思ひはせ下り、 手足は血潮に染みながら、 川原の石をとり集…

川倉地蔵尊例大祭 — イタコの “口寄せ” に津軽の風土を想う

イタコの “口寄せ” イタコと呼ぶ霊媒者が死者の霊を冥途から呼び出し、イタコの口を通じて語りはじめる。 あちらこちらのテントの下でイタコの口寄せが行われる。語りを聞き、しんみりとしたり、涙を流す姿が見られる。人気のあるイタコは順番待ちの時間が長…

川倉地蔵尊例大祭 — 賽の河原で亡き子を偲ぶ

卒塔婆に供物を奉げる 地蔵尊堂の外には多くの卒塔婆や後生車が建っている。 賽の河原で供物を奉げる 参詣者からお布施をいただく僧侶姿の者がいる。 賽の河原を急いでどこへ行く? この近くに、飢饉で行き倒れになった者を葬る「イゴク穴」と呼ぶ穴があった…

川倉地蔵尊例大祭 — 農民の顔と哀しみを地蔵堂に知る

参詣する津軽女の顔 農民の顔 参詣の女たちが供養の諷誦文(ふうじゅもん)と草鞋を納める この写真を見た福島菊次郎氏は「農民の顔だ、漁民の顔とはちがう」といった。 草履を供物として奉げるのは、故人が三途の川を渡るには草鞋が必要ということか。 地蔵…

川倉地蔵尊例大祭 プロローグ

岩木川の彼方には津軽富士 本州の北端青森県津軽地方の夏は短い。古くから幾たびも冷害による飢饉に苦しんだという記録が残されている。そんな記録が菅江真澄の日記に詳しく書かれている。 半世紀ほど前、そんな津軽の風土と歴史に興味をもち、カメラのレン…

西津軽の虫送り行事(豊年満作祈願)

津軽地方では、田植が済むと大きな蛇の形(ムシ)を藁でつくって、笛、太鼓ではやしながら集落内をまわり、村はずれの木に掛けておく。これを「虫」というようある。虫送りは農作物に付く害虫駆除が主な目的。また集落の災厄を送り出し、豊作と村内安全を願…

津軽の春祭り(虫送り)

“虫送り” の行事のようだ 田植の終る五月下旬から六月にかけ、津軽地方では五穀豊穣、無病息災を祈願し「虫送り」の行事がある。上の写真は車力村(現つがる市)で撮影した覚えがある。後方の平野には青々とした水田が広がっている。 巡見使? 津軽藩の殿様…

津軽平野を一両編成の電車が走る

五所川原・中里間を走る津軽鉄道 一枚だけまともに電車が写っている写真が出てきた。冬には「ストーブ列車」となる。撮影年:昭和40年代

リンゴ園の彼方には霊峰岩木山

津軽富士(岩木山)を望む 秀麗な姿の霊峰岩木山。旧暦八月一日には、「五穀豊穣」「家内安全」を祈願して「お山参詣」という集団登拝が繰り広げられる。

防風林とカッチョの連なる田舎道 ー 金木町藤枝集落

青森ヒバのカッチョ 冬季、日本海から吹き付ける強烈な風と雪を防ぐカッチョ。これがあるので、家屋と庭は雪に埋まらない。撮影年:昭和40年代

津軽平野に田植(手植え)を見る

田植作業の後ろには岩木山 津軽富士(岩木山)を背にしての田植え作業。春の日差しが目にまぶしい。田には線が引かれているので、線に沿い苗を等間隔に植えていく。 腰の籠から苗を取る 女たちは世間話をしながら、黙々と田植え作業をつづける。“乙女心”で純…

春の小川の向うには津軽鉄道

津軽鉄道を望んで 二年間お世話になった津軽鉄道。軌道は見えるが、あいにく電車が写っていないのが惜しい。東京から夜行列車 “八甲田” に乗り、金木町やその奥にある小泊までは十数時間かかった。車中二泊、現地で一泊して、“とんぼ返り” で職場に戻ったも…

代かき作業の彼方には津軽富士

津軽富士(岩木山)を望む 代搔き作業の前には、田んぼの畦道の防水作業が欠かせない。その作業を畔塗りというようだ。鍬やスコップを用いて、適度な硬さにした泥で畦道の壁面に塗っていくのだが、この作業がつらいのだ(やったことないけど)。ザリガニを見…

津軽平野 田植の季節

旧金木町嘉瀬 半世紀ほど前、二年間という短い期間でしたが、津軽平野を縦横に歩き、農民の姿と風景を記録しました。その時に撮影したモノクローム写真を、当分の間、少しづつ投稿します。写真に添える文章は頭に浮んでこないので無いです(たぶん)。使用し…

銀閣幻影

哲学の道 家の中に閉じこもってばかりでは気が滅入るので、きれいな庭でも見ようと久しぶりに銀閣寺まで歩いて行った。 銀閣寺総門 銀閣寺を訪れるのは実に三十年ぶりである。 本堂 受付で「本日は貸切状態ですよ」と言われたが、本当にそんな状態だった。境…

新緑に誘われ貴船神社本宮と奥宮を訪ねてみた

近年縁結びのパワースポットとして老若男女(?)に人気のある貴船神社である。縁結びを願う者はまず本宮で願い事を結び文に書いて結社(中宮)の結び処に結び合わせて祈願するのだという。霊験あらたかで願い事がかない、生涯の幸福が得られると言われてい…

貴船川に沿って花の道を歩く

昔の人はさぞかし足腰が強かったと見える。近くて遠きもの。…思はぬはらから、親族の仲。鞍馬のつゞらをりといふ道。遠くて近きもの。極楽。舟の道。人の仲。清少納言は上手いことを言う(上の二行は『枕草子』からの引用)。鞍馬山(寺)のつづら折りは本堂…

洛北貴船川(鞍馬川)沿いを歩いて見た

叡電市原駅(無人駅) 世間がマンボウまんぼうとやたらやかましかった頃、頭のまわりを泳ぐマンボウを振り払い、京都北部の貴船神社あたりを散歩しようかと思い立った。若い頃なら市中から鞍馬山まで歩くことはどうということはなかったけれど、さすがに寄る…

アスリートの休息

花の園

春の嵐

散歩の途中、先ほどまでの晴天が一転して黒雲来襲し一陣の風と雨あられ!コンデジの電源を入れるが、撮影できるまでの時間が長く感じられた。

風の声を聴く

御衣黄 “風の歌を聴け” なんて小説があったような気がする。読んだような気もするが、その内容はとうに忘れてもうた。今年の御衣黄は、花が小ぶりで枝ぶりも寂しい。例年のようにゆっさゆっさとした感じがない。この桜は色の変化を楽しめる桜で、花の中心部…

風に吹かれて(御衣黄)

御衣黄 御衣黄と書いて「ぎょいこう」と読む。もともとは京都御所に咲く花だとか。なのでお公家さんの衣と書くのだという。と、このあいだ嵯峨野の「さくら守り」が言ってたっけ。

令和三年のサクラ(遅ればせながら)

京都御苑 今さらサクラの花だって? という声が聞こえてきそうだ。まあ、そう言わずに見てください(サクラの枝の向うにはワンちゃんと散歩するご婦人が写り込んでいる)。 ふだん85mmのレンズを風景撮影に使うことはないのだけれど、今回古いレンズを引っ張…

京都御苑に咲くウマノアシガタ

春らしい明るい感じを出してみた。草地の向うにはベンチがあり、ご婦人が座っているのが見える。草地には今では貴重な日本タンポポ、ムラサキサギゴケ(苔にあらず)なども咲いているけれど、今回は食指が出ない。・カメラ : ニコンD700 ISO AUTA 1/400 F5.…

京都御苑に咲く野の花

ウマノアシガタ 「ウマノアシガタ」とは、またけったいな名を付けられたものである。サクラの咲く時期が終わりを告げるころ、この花と「シャガ」の花が京都御苑の草地を埋める。でも今年はどうしたわけか元気がない。ソメイヨシノの花数は例年より少ない気は…

永遠のソール・ライター展を京都「えき」で観る

近ごろ美術館「えき」KYOTOで「永遠のソール・ライター」という催しが人気を得ているという。しばらく忘れ去られていたアメリカの写真家が再び脚光を浴びだしたということだろうか。それを確かめるべく京都駅へ向ったのは、今日のことだった。 百聞は一見に…

早起きは三文の得? 夜明けの空

朝焼けの写真を撮ろうとして早起き(年齢のせいかな?)したわけではありません。 ご同輩の方ならお分かりかと…。早朝にカーテンをわずかに開いて外を眺めると、いい感じの茜色に染まっていた。冬空にこんな雲を見るのは珍しい気がする。用を済ますことを後…

落日燃ゆ? 渋沢栄一翁のことなど

落日燃ゆ 巨星墜つ 某国の大統領(元)のことではない。 ましてや露伴翁の最期のことでもない。 燃えるような落日をどのような言葉にたとえようか。 そのことを考えていたら「落日燃ゆ」が頭にうかんだ。 以前そんな題のドラマがあったことを思い出したのだ…

紅白梅図?

散歩の途中に12月から咲き出した紅梅・白梅を撮る。 例年より半月は早く咲き出した梅の花。 すでに盛りを終えたようだが、胸ポケットからコンデジを出してパチリ。 20年前のコンデジではチト厳しかったと技量の無さをカメラのせいに^^; 出水の小川 sasurai1.…

上高地の朝 ― 白樺の森と焼岳

大正池ホテルが冬季、年末年始の数日間だけ営業していたころ、バスの終点沢渡で降り、雪道を四時間ほどかけてホテルまで歩いたものだ。道中、北風が頬を打ちとても寒い思いをした覚えがある。夜明け前、大正池の畔で奥穂高・西穂高の峰に朝日があたるのを待…