chikusai diary

昭和という時代に どこででも見ることができた風景を投稿しています。

洛北貴船川(鞍馬川)沿いを歩いて見た

 

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叡電市原駅無人駅)



世間がマンボウまんぼうとやたらやかましかった頃、頭のまわりを泳ぐマンボウを振り払い、京都北部の貴船神社あたりを散歩しようかと思い立った。若い頃なら市中から鞍馬山まで歩くことはどうということはなかったけれど、さすがに寄る年波には勝てないので途中の叡電市原駅までは電車に乗ることにした(平日のせいか車内は空いていた)。

本来なら貴船口、または鞍馬まで電車で行きたいところなのだけれど、昨年の大雨で線路が土砂崩れに遭い、叡電市原駅鞍馬駅間はまだ不通なのだ。



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市原駅周辺の景色


昔はもっと風情のあるところだったのだけどね。鞍馬川の右岸(左側)には茅葺の家があってその家で飼っているアヒルがいつも川で泳いでいた。

そうそう、当時切り絵で人気作家だった滝平二郎さんがここへ取材に来たみたいで、朝日新聞日曜版にどでかくこの風景が載っていた。夏の夜は蛍が飛び交い、カジカガエルがきれいな声でコロコロと鳴いていたっけ。ここから眺める雪景色が好きだった(いまはその当時の面影はあまりない)。

40年前、鞍馬川沿いにはまだ田んぼが残っていたけれど、いまは住宅が密集し、新しい道路までできている。



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龍田神社


この辺りには神社が多く見られる。この神社は由緒ある神社みたいで、奈良龍田大社より大神を勧請したとのこと。祈雨の神様だそうで、この地の氏神さま。

大昔にはこの辺りの山に「イ」の字の形をした火床があったことが伝えられていて、今に残っていれば「京都六山の送り火」と言われていたかも知れない。市原野という地名からして、庶民の亡骸はこの地まで運ばれて葬られていたようだ。そのせいか市原野にはいくつも寺があり、向山の麓からは石仏がたくさん出ている。




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二ノ瀬 白龍園


市原駅から三十分たらずで二ノ瀬集落の入口に到着する。白龍園の入口に白いテントが見える。もしかして開園しているのかな、と思い入口で訊ねると「予約者のみ一日百名と制限されているが、まだ枠が空いている」という。入りますと答え、入園料を支払う段になり、その金額は想像していたより高額だったので額から冷たい汗が…。



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園内に入った所は こんな感じ




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鶯 亭




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山腹から眺める景色

対面の山が貴船山に連なっている。


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山腹のあずま屋から眺めた景色




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清風亭


清風亭の後ろには叡電の線路が見える。ちなみに白龍園には五つのあずま屋がある。
白龍園の名の由来は、この地に伝わる伝説から名付けられたものという。不老長寿の白髪白髭の翁と白蛇を御祭神とする村人の信仰がかつてはあったようだ。
安養寺山麓(白龍園のある所)の東には神様が居られるというので写真撮影はできなかった。僧正ヶ谷には朱塗りの太鼓橋、苔むした石段と石灯籠、それに石庭風の参道が寂びた風情を見せていい感じだった。



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河鹿荘


一時間半ほど園内で過ごした(二時間と制限された時間なのだが、途中から入ったので短い)。三十分もあれば回れるのだけれど、写真撮影する者には二時間は欲しい。あずま屋でのんびりと話をする方が多かったので、きっと “命の洗濯” ができたことだろう。白龍園を出たところには河鹿荘という茶店もあった。

※続きます