chikusai diary

昭和という時代に どこででも見ることができた風景を投稿しています。

道案内する犬

ぬかるんだ道をゆく 十三湖周辺の景色津軽地方の冬の訪れは早い。昭和四十年代の半ば、十三湖北部の荒涼とした景色に魅せられ、わずか二年間ではあったが、仕事の合間に東京から通い続けた。一年目の冬は、積雪がほとんどなく地吹雪を体験することは適わなか…

秋薔薇は優しく…

使用レンズ:Ai AF Zoom Nikkor 28-105 F3.5-4.5D(IF)

北八ッ 黎明と暮色

白駒池の夜明け 御嶽山遠望 1980年代後半にポジフィルムで撮影したもの。 結構変色(退色?)が進んでいるようだ。 スキャナー:EPSON GT-X970 (TIFF保存) chikusai2.hatenablog.com chikusai2.hatenablog.com

恋多き女 ー 小野小町へのオマージュ

あきの夜も 長いといわれる秋の夜も そんなことはなく本当は短い感じがします。 ひたすら逢っているとうれしくて、なんということもなく すぐに夜があけてしまったものです。 あきの夜も名のみなりけり あふとあへば事ぞともなくあけぬるものを かつて小野小…

花から花へ ー ときには蝶のように?

あら飛んでしまった 動いているものにピントを合わせるのは難しい。 じっと しとって 植木屋さんをバックに 再登場 盛りを過ぎた芙蓉も好き 秋バラにしては初々しい? みな人の花や蝶やといそぐ日も我が心をば君ぞ知りける ちょっと一休み youtu.be youtu.be

お昼の休憩時間ですよ~

さあ鴨川べりへ ランチタイム 新型コロナの感染者数が少なくなってきたので ほっと一息かな ちょっと一休み その節はお世話になりました。ぼちぼちとやってます 孫の顔を見るまでは 向う岸には渡りたくないなあ ^^;

虹色の刻

青龍殿(門跡寺院 青蓮院飛地) 虹色の龍が天に昇る 比叡山 幡の色は虹の色?

今はもう秋? ー なからぎの森を歩く

今はもう秋 誰もいない森… 枯葉散る夕暮れは 来る日の寒さをものがたり 雨に濡れたベンチには 恋人たちの姿はない… あれ、どこかで聞いたようなフレーズだなあ。 十月とは言え まだまだ暑い日が続きますね。 半木の森 台風の過ぎ去った昨日のことだ、府立植…

太宰治の津軽

お 山 五穀豊穣を願う山である。 岩木山は津軽平野のどの場所からみても美しい。金木町出身の太宰治に よれば、「… 岩木山が、満目の水田の尽きるところに、ふわりと浮んで いる。実際、軽く浮んでいる感じなのである。したたるほど真っ蒼で、 富士山よりも…

陸奥に秋風の吹くにつけても “あなめ あなめ”

小野(小町)とは言はじススキ生えけり 豊かな沃野・津軽野のかなたに岩木山がそびえ、流れる雲と冷涼な風が これから訪れるであろう冬を予感させる。 津軽野を歩いていると道端に一定の間隔をおいてお地蔵さんが 祀られていることに気づく(これは京都でも…

家路 ー 津軽地方と菅江真澄、それにイザベラ・バードのこと

家路と旅路わたしが津軽平野を彷徨したのは昭和四十年代半ば(1970年代)だった。わずか二年ほどだった。それよりおおよそ百八十余年前の天明四年(1784~)から、四十五年間を旅に人生を送った人物がいた。その人の名は菅江真澄。偶然ではあったが、その人…

津軽平野に陽はまた昇る

ちょうど今頃の時節だろうか、津軽平野を縦横に歩いていると夫婦や親子で働いている姿をよく見かけたものだ。まれに数人の集団を見ることがあったので撮影の際に話をすることがあった。すると北海道から出稼ぎに来ている、という青年がいた。今撮った写真が…

雲は流れる ポツンと一軒家の上を

平野の中にポツンと一軒家 秋の刈り入れ時期、平野の上には大陸方面から大きな雲の塊が次から次へと 流れてくる。西風が強く吹き、津軽平野の風物詩「野焼き」の煙が田んぼの 上を這うように流れる。 田んぼに残る黒々とした野焼きの跡 茅葺屋根の煙出しの形…

津軽富士には津軽美人が似合う?

富士には月見草がよく似合う 転じて… 津軽富士をバックに刈り入れ作業 夫婦での作業 わたしを撮ってどうするの?

収穫の夕

昭和時代の田園風景 荷物を斜陽館に預け、夕食までの間 稲刈り風景を撮影に出かけた。 日が西に沈みかけの時刻、コンバインでの脱穀作業に従事する人影 が見えた。写真は数枚撮影した中の一枚である。まるで演出したか のように人物が異なる方角を見ている。…

突然の雨

京都御苑 夕方、いつものように御苑を散歩していたら突然どしゃ降りの雨。あわててカメラを構えたけれど、露出が合わない。ISO感度を調整している間に小降りになってしまった。 お気に入りの場所でカメラを構えていたら…

雨宿り

チューリップのアップリケ⁉

女友だち

昭和エレジー

自画像

京都西陣を散策してみた(地蔵盆の日に)

ひと口に “西陣” といってもその範囲は広い。なかにはその名で呼んでほしくないというお方もまま見受けられるようなので、京都は歴史が古いだけにむずかしい。昨日、午前中の三時間ばかり、雨の降る前に西陣を散歩してきたのでちょっとだけ写真で報告を。ま…

南禅寺境内を歩いてみた

南禅寺三門 水路閣へ通ずる道 近年スマホ撮影のメッカのようだ。この日も賑わっていた。 大階段 こんなところに野外劇場があったかな? 南禅寺専門道場 わたしはこれで総理を辞任しました 小指のハナシではない。芸妓の指三本を握って辞任する羽目になったあ…

京の散歩道

毎日のように雨が降る。梅雨時の雨も長かったけれど ちょっと早めの秋雨も長いこと長いこと もううんざりだわ。新型コロナ禍と長雨と蒸し暑さのトリプルパンチだ。おまけに隣家の取壊しが始まったので、うるさくて読書もままならない。なので最近は少々の雨…

下北半島 尻屋崎で想うこと

尻屋崎灯台 彼方に北海道が見えるのだが 写真では判然としない。右手の海は太平洋。 下北半島東北端の地と思うと 感慨ひとしおである。 あの日(東北大震災)の津波でこの地も大きな被害を被ったはず。 夏場にヤマセという強い東風が吹くという。その風が幾…

九艘泊への道(世界最北限の猿に会う?)

漁から帰ってきたのだろうか。世界最北限に生息するニホンザルを観察するため、脇野沢から九艘泊へ歩いて向かう途中に見かけた光景である。遠くに見える山並みは津軽半島である。 脇野沢帰帆 本州最果ての土地十代のころ、二度ほど下北半島を巡ったことがあ…

押すなよ! 絶対押すなよ!

船団子? 押すな 押すなの大盛況のイカ釣り漁船。状況はちがうけど、ダチョウ俱楽部 上島氏の あの声がいまにも聞こえてきそうだ(笑)。脇野沢村のニホンザルは世界最北限の地に生息する猿として有名だが、北風吹きすさぶ寒い冬には一カ所に集まり(猿団子…

下風呂温泉夕景(風間浦村)

下風呂漁港 秋雨前線か、それとも梅雨前線がふたたび活発化してきたというのか。写真の風間浦村では、今回の大雨で道路はズタズタに寸断され、橋は濁流により破壊されてしまったと報道で知った。わたしに出来ることといったら、一刻も早く元通りの生活ができ…

釣りの帰り

お兄ちゃん、あの人うちらの写真撮ってはるわ。ああ 恥ずかし… 脇野沢村で出会った きょうだい 南部地方それも下北半島の南西部の方言は知らないので関西弁(これもうまく使えないけれど)で…。家族に言わせると、田舎から電話がかかってくると突然東北弁(…

仏ヶ浦で見たものは極楽 それとも地獄?

屏風岩付近 仏ヶ浦の奇岩は火山活動により作られ、菅江真澄も感嘆した修行の場 昭和四十年代、仏ヶ浦へ行くには脇野沢の港から小型の遊覧船に乗り平舘海峡を北上するしかなかった。海の上から東側の下北半島を眺めると、急峻な山を後ろにひかえ、所々に小さ…

仏ヶ浦への道は遠かった!

宇曽利湖 恐山から釜臥山へ恐山を後にしたわたしがどこへ向ったかといえば仏ヶ浦である。恐山と仏ヶ浦は一対で考えなければならない、と聞いていたからだ。本来なら恐山からは、山中を西の方角に歩いて仏ヶ浦に至ることが中世の優婆塞(うばそく)のしきたり…

下北半島の旅 恐山を歩く

霊場恐山 正面に見える建物が地蔵殿。宗派は意外にも禅宗(曹洞宗)である。 田名部駅前からバスに乗り、霊場恐山に着いたのは昼頃だったろうか。宿坊で宿泊の申し込みを済ませてから、霊場と宇曽利湖の周囲を散策したことを覚えている。その日は風の強い日…