chikusai diary

昭和という時代に どこででも見ることができた風景を投稿しています。

昭和の記憶

歴史に埋もれた写真家 ー 横内勝司写真展「時を超えて」の紹介

戦前の信州松本にひとりのアマチュア写真家がいた。卓越した技術と人並外れた感性でガラス乾板に見事な映像を刻みこんでいたという。惜しむらくも昭和11年に33歳の若さで病死。かれの存在とガラス乾板は時代から長く忘れ去られていたが、70年後に屋根裏でガ…

チューリップのアップリケ⁉

女友だち

昭和エレジー

自画像

川倉地蔵尊例大祭 — イタコの “口寄せ” に津軽の風土を想う

イタコの “口寄せ” イタコと呼ぶ霊媒者が死者の霊を冥途から呼び出し、イタコの口を通じて語りはじめる。 あちらこちらのテントの下でイタコの口寄せが行われる。語りを聞き、しんみりとしたり、涙を流す姿が見られる。人気のあるイタコは順番待ちの時間が長…

川倉地蔵尊例大祭 — 賽の河原で亡き子を偲ぶ

卒塔婆に供物を奉げる 地蔵尊堂の外には多くの卒塔婆や後生車が建っている。 賽の河原で供物を奉げる 参詣者からお布施をいただく僧侶姿の者がいる。 賽の河原を急いでどこへ行く? この近くに、飢饉で行き倒れになった者を葬る「イゴク穴」と呼ぶ穴があった…

川倉地蔵尊例大祭 — 農民の顔と哀しみを地蔵堂に知る

参詣する津軽女の顔 農民の顔 参詣の女たちが供養の諷誦文(ふうじゅもん)と草鞋を納める この写真を見た福島菊次郎氏は「農民の顔だ、漁民の顔とはちがう」といった。 草履を供物として奉げるのは、故人が三途の川を渡るには草鞋が必要ということか。 地蔵…

川倉地蔵尊例大祭 プロローグ

岩木川の彼方には津軽富士 本州の北端青森県津軽地方の夏は短い。古くから幾たびも冷害による飢饉に苦しんだという記録が残されている。そんな記録が菅江真澄の日記に詳しく書かれている。 半世紀ほど前、そんな津軽の風土と歴史に興味をもち、カメラのレン…

京の民家#10  陰翳礼讃 ! ?

三十余年前、谷崎潤一郎氏の『陰翳礼讃』に接し、カメラにモノクローム フィルムを詰め、京都の民家、寺社、通りを飢えた犬のように歩いた。 伏見の酒造会社 祇園新橋、宮川町あたりは夜、それも雨の日を選んで撮影した。 けれど、夜に撮影した花街のネガが…

京の民家#9 名物に旨い物あり?

「名物に旨い物なし」と言うけれど 京の奈良漬とはいかに ! ? 余の好きなものは桂瓜の奈良漬!

京の民家#8 遊郭跡

中書島遊郭跡 島原大門 撮影した30余年前は民家として使用されていた覚えがある。この春、伏見の酒倉を訪ねた折に記憶を頼りに探してみたが、見当たらなかった。島原角屋の室内写真をたくさん撮影したのだけれど、フォルダーが見当たらない。それは後日… chi…

京の民家#7 伏見人形窯元ほか

伏見稲荷神社に参拝し、本町通りを北へ歩くと伏見人形の窯元「丹嘉」さんがある。昔は60軒もの窯元があったというが、今ではただ一軒、土人形の伝統を守っている。 丹 嘉 酢 屋 chikusai2.hatenablog.com

京の民家#6 路地と図子

路地(ろーじ)は通り抜けができない袋小路のこと、通り抜け(L字型もある)が出来る細い通路を図子(辻子・ずし)と分けて呼んでいるようだ。 三上家路地(西陣) 祇園付近の図子(L字型) 通りの上には二階がある 路地は子どもたちの遊び場でもある。自動車…

京の民家#4 祇園祭の夕

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京の民家#2 今宮神社門前町にパワーアップした町屋を観る

今年の夏はとりわけ暑い。京都の夏は、気温36度・37度はごく 普通だけど、今年の夏は気温38度・39度が普通になってきた。 外出自粛が長く続くと足腰が弱るので、口元を「アベノマスク」 で覆って出かけてみた。 変身前 ネガを見直していると、粋な暖簾が掛か…

京の民家#1 鞍馬

ご無沙汰していました。ついつい暑さにかまけてサボってしまいました。 わたしは旅行が好きなので、日本全国の風景を撮影していますが、国内 の趣のある民家を、50年にわたり飽きもせずに撮影しているのです。 で、今回は京都の民家を紹介します。モノクロー…

京の藪医師・竹斎先生東国へ下る(吸出し のことなど)

蛸の吸出し 「chikusai diary」の名の由来 ご年配の方はご存知かと思うし使った方もいるかと思う。 民間療法(?)に「タコの吸出し」を使って身体の化膿した部位の膿を 切開せずに吸い出すという治療がある。幼いころ、その薬を化膿した部 分に塗り治療した…

昭和の記憶 東京砂漠

・ 陽はまた昇る この東京砂漠

昭和の記憶 「たばこ王」村井兄弟商会跡

・ かつて京都清水五条坂付近に煉瓦造りの瀟洒な建物があった。 昭和も最後の年に、いわれを知らぬその建物に興味を持ち、 撮影を試みたが満足できる写真は撮れなかった。廃墟のよう な部分の写真だけが手元に残っている。 明治の頃、村井兄弟商会のタバコを…

昭和の記憶 三井三池争議

雨の降る夜はつらかろね ホッパーにらんで夜明けまで 無口のあんたが火を囲む ビニール小屋に届けたい 腹巻き 綿入れ たまご酒 小さなこぶしをふり上げて 「けいかんかえれ!」と叫んだ子 目玉を生命を奪われた たぎる仲間の憎しみを この子に孫に つがせよ…

昭和の記憶 はじめての「エール」 (TOKYO1964)

アベベに続いて国立競技場に入ってきたのは円谷幸吉だった。 そのすぐ後ろにはヒートリーが迫っていた。 「円谷頑張れ!」「円谷頑張れ!」テレビに向って声援をおくった。 声援は、悲痛な叫びにかわった… わたしが円谷幸吉を間近で見たのは中学生のときであ…

昭和の記憶 狭いながらも…「水上生活者」

寝る前1分の「エセ―」 死は避けられないものである以上、いつ来ようと かまわないではないか。 あらゆる苦しみから解放されたところへ移ろうというのに、 それを悲しむとは何と愚かなことだろう。 明けゆく毎日をおまえの最後の日と思え。 そうすれば当てに…

昭和の記憶 苦界浄土(空と海の間)

人間死ねばまた人間に生まれてくっとじゃろうか。 うちゃやっぱり、ほかのもんに生まれ替わらず、 人間に生まれ替わってきたがよか。 うちゃもういっぺん、じいちゃんと舟で海にゆこ うごたる。 石牟礼道子著『苦界浄土』ゆき女 きき書きより 上の写真は四十…

昭和の記憶  田園に死す

昭和の記憶 チューリップのアップリケ

チューリップのアップリケ ついたスカート持って来て お父ちゃんも時々買うてくれはるけど うちやっぱりお母ちゃんに買うてほし うちやっぱりお母ちゃんに買うてほし 今夜もまた ラジヲからは岡林の歌が流れてくる

昭和の記憶 喝采

・ あれは三年前 止める あなた駅に残し 動き始めた汽車に ひとり飛び乗った ひなびた町の昼下がり 教会のまえに たたずみ 喪服のわたしは 祈る言葉さえ 失くしてた

昭和の記憶 神田川エレジー

朝夕、電車の窓から眺めていた神田川。 当時、女子のあいだでは “かぐや姫”の 歌う『神田川』がひそかなブームにな っていたようだ。 「貴方は もう忘れたかしら赤い手ぬぐい マフラーにして二人で行った 横丁の風呂屋一緒に出ようねって 言ったのに いつも…

昭和の記憶 東京湾に浮ぶ “夢の島”

・ 寝る前1分の「エセ―」 ただこのことだけを言っておく。哲学者ピュロンはある大嵐の日に船に乗っていたが、 自分のまわりでひどく恐れおののいている人たちに向って、その嵐にまったく平気で いる豚を示して彼らを元気づけた。 それならわれわれはあえて…

昭和の記憶 「男は黙って…」

定点観測(?)のポスター 20年前に撮影したものです。先日、貼ってあった酒屋さん の前を通るとポスターはありませんでした。 建物は無く、駐車場にかわっていました。

昭和の記憶 戦後25年目の春(浅草寺雷門)

白衣の元軍人

昭和の記憶 停車場

2番線ホーム 「 …停車場は 悲しい女の吹きだまり 」?