chikusai diary

昭和という時代に どこででも見ることができた風景を投稿しています。

津軽紀行(秋-冬)

子守歌流れる小泊道

子守歌が聞える 寒空のなか、子どもを背負った女が歩いている。物悲しい歌が風の音にまじり聞えてくる。 守りもいやがる 盆から先にや 雪もちらつくし 子も泣くし 盆がきたとて なにうれしかろ 帷子(かたびら)はなし 帯はなし この子よう泣く 守りをばいじ…

海鳴りが聞える

権現崎を望む 廃船の傍らに馬 廃船につながれているのだろうか、馬だけがいる光景。それにしても砂浜には大量のごみが打ち上げられている。※写真は十三湖北部で撮影したように思う

冬支度

老夫婦が買物を済ませ我が家に帰るところであろうか。リヤカーには少しばかりの荷物、お婆さんの手には醤油瓶か酒瓶が下げられている。撮影年:昭和40年代撮影地:中泊付近

吉田松陰や菅江真澄も訪れた本州最果ての土地 小泊?

小泊から隠れ里下前、そして権現崎へ 小泊村は遠かった! 昔日の小泊村は遠かった。竜飛崎も遠かったが、むしろ小泊の方がずっ と遠い。東京からの話である。今では新幹線の駅がそう遠くない所にで きたのでだいぶ所用時間は短くなった。 わたしは小泊へは三…

縄文人の日々の生活が世界文化遺産になった?(十三湊と三内と縄文遺跡)

津軽は縄文遺跡の宝庫か!近年、“縄文”や“土偶”をテーマとした「美術展」が多く開催展示されるようになり、テレビや雑誌にも話題を提供している。その縄文遺跡だが亀ヶ岡遺跡、三内丸山遺跡をはじめ青森県でたくさん発見されているのだ。一万年前、この地方…

冬の気配 - 十三湖

漁具を収納している小屋だろうか。粗末な小屋のわきを歩いて行くと廃船 だろうか陸に放置された船が二艘ばかり見えた。あたりはゴミ捨て場のよ うな様相を呈していた。 菅江真澄と十三湖 十三湖周辺の風景は物悲しい。 かつて(中世鎌倉時代)この周辺には、…

道案内する犬

ぬかるんだ道をゆく 十三湖周辺の景色津軽地方の冬の訪れは早い。昭和四十年代の半ば、十三湖北部の荒涼とした景色に魅せられ、わずか二年間ではあったが、仕事の合間に東京から通い続けた。一年目の冬は、積雪がほとんどなく地吹雪を体験することは適わなか…

太宰治の津軽

お 山 五穀豊穣を願う山である。 岩木山は津軽平野のどの場所からみても美しい。金木町出身の太宰治に よれば、「… 岩木山が、満目の水田の尽きるところに、ふわりと浮んで いる。実際、軽く浮んでいる感じなのである。したたるほど真っ蒼で、 富士山よりも…

陸奥に秋風の吹くにつけても “あなめ あなめ”

小野(小町)とは言はじススキ生えけり 豊かな沃野・津軽野のかなたに岩木山がそびえ、流れる雲と冷涼な風が これから訪れるであろう冬を予感させる。 津軽野を歩いていると道端に一定の間隔をおいてお地蔵さんが 祀られていることに気づく(これは京都でも…

家路 ー 津軽地方と菅江真澄、それにイザベラ・バードのこと

家路と旅路わたしが津軽平野を彷徨したのは昭和四十年代半ば(1970年代)だった。わずか二年ほどだった。それよりおおよそ百八十余年前の天明四年(1784~)から、四十五年間を旅に人生を送った人物がいた。その人の名は菅江真澄。偶然ではあったが、その人…

津軽平野に陽はまた昇る

ちょうど今頃の時節だろうか、津軽平野を縦横に歩いていると夫婦や親子で働いている姿をよく見かけたものだ。まれに数人の集団を見ることがあったので撮影の際に話をすることがあった。すると北海道から出稼ぎに来ている、という青年がいた。今撮った写真が…

雲は流れる ポツンと一軒家の上を

平野の中にポツンと一軒家 秋の刈り入れ時期、平野の上には大陸方面から大きな雲の塊が次から次へと 流れてくる。西風が強く吹き、津軽平野の風物詩「野焼き」の煙が田んぼの 上を這うように流れる。 田んぼに残る黒々とした野焼きの跡 茅葺屋根の煙出しの形…

津軽富士には津軽美人が似合う?

富士には月見草がよく似合う 転じて… 津軽富士をバックに刈り入れ作業 夫婦での作業 わたしを撮ってどうするの?

収穫の夕

昭和時代の田園風景 荷物を斜陽館に預け、夕食までの間 稲刈り風景を撮影に出かけた。 日が西に沈みかけの時刻、コンバインでの脱穀作業に従事する人影 が見えた。写真は数枚撮影した中の一枚である。まるで演出したか のように人物が異なる方角を見ている。…