漁具を収納している小屋だろうか。粗末な小屋のわきを歩いて行くと廃船
だろうか陸に放置された船が二艘ばかり見えた。あたりはゴミ捨て場のよ
うな様相を呈していた。
十三湖周辺の風景は物悲しい。
かつて(中世鎌倉時代)この周辺には、数多くの寺院と城のあったことが
分っている。近年都市遺構の発掘も進んでいると聞く。
私が訪ねたころ、それが想像できないほどに さびれてしまっていた。
江戸時代の紀行作家菅江真澄は十三湖北部の村々の寺院跡を訪ね歩いている。
当時から安倍の一族の古い館跡が相内の里(市浦村)にあったことが知られ
ていたので村人に案内を頼みそこを訪ねた。「高い草をなぎはらい、木々の
間から望むと、岩木山がなかばほど、南の雲のきれめから姿をあらわし……
十三の部落は貝などをふせたようで、湖は藍をうちながしたかとみられ…」
と『菅江真澄遊覧記』に書いている。
真澄は、遠い昔十三のあたりには家が多く栄えていたということを『十三往
来』という書物を読んで知っていた。