荷物を斜陽館に預け、夕食までの間 稲刈り風景を撮影に出かけた。
日が西に沈みかけの時刻、コンバインでの脱穀作業に従事する人影
が見えた。写真は数枚撮影した中の一枚である。まるで演出したか
のように人物が異なる方角を見ている。撮影地は金木町
(現 五所川原市)の西方の田んぼ。
※写真をクリックすると拡大できます。撮影年は昭和四十年半ば。
「斜陽館」は小説家太宰治の生家である。訪れた当時は他人の手に
渡っていて旅館として使われていた。総ヒバ造りの広壮な邸宅で、
明治の末期に数年をかけて完成し、現在の金額に換算すると数億円
はすると言われていたと記憶する。
太宰の生家の津島家は明治の頃に急成長した大地主で、原野のよう
なところを開墾し、灌漑事業に寄付をして地元に貢献したと大宰は
どこかに書いていた。そして家の前には津島家の金木銀行(のちに
青森銀行に吸収された)があった。
この大地主の津島家は、実は凶作で困っている多くの貧しい百姓か
ら借金の方に田畑を取り上げていたようで、マルクス主義者の太宰
は そのことで負い目を感じていたという。