chikusai diary

昭和という時代に どこででも見ることができた風景を投稿しています。

2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

昭和の記憶 停車場

2番線ホーム 「 …停車場は 悲しい女の吹きだまり 」?

昭和の記憶 カモメが翔んだ日

ハーバーライトが朝日に変る その時一羽のかもめが翔んだ 人はどうして哀しくなると 海をみつめに来るのでしょうか 油の匂いに癒され、船の動力の音が「子守唄」だった あの頃…

昭和の記憶 「安全地帯」って何 ?

寝る前1分の「エセ―」 ある人は貧困になるためにお金を海に投げ入れたが、 その同じ海を多くの人々が富を釣り上げるために 四方からかき廻す。 エピクロスは、富むことは厄介をなくすことではなく、 別の厄介と取り換えることだ、と言った。 実際、吝嗇を生…

昭和の記憶 丸の内 25時 その 2

寝る前1分の「エセ―」 ところで、ある人たちが恐ろしいもののうちで もっとも恐ろしいものと呼んでいる死を、 別の人たちが現世の苦しみの唯一の避難所、 自然の最高善、われわれの自由の唯一のよりどころ、 万病に効く速効薬と名づけているのを知らぬ人は…

モンテーニュと吉田兼好の死生観

大正池の朝 モンテーニュと吉田兼好とは、たいそうなタイトルを付けたものだ。 これだけで一冊の本が書けるだろう。今夜は二人の死生観があまり に似通っている、ということを二人の「エセ―」から少しだけ引用 して、読者の感想を仰いでみたい。 「裁判官べ…

モンテーニュ『エセ―』を読み始めたが…

大正池より望む穂高 いつ頃のことだったか、モンテーニュ『エセ―』が 妙に気になっていた時期があった。 すでに読んだ方、あるいは読もうとした方はご存知 のように『エセ―』は大分長いものなのだ。同じ長 い随筆(?)でも『カザノヴァ回想録』とはだいぶ …

夜に咲く花 2

寝る前1分の「エセ―」 私は最近、いくらもない余生を平穏と隠遁のうちに送ることにして、 できるだけ他のことに心を煩わすまいと決心して自分の家に退いた が、私の精神を完全な無為のうちに過ごさせ、自分のことだけを考 えさせ、自分の中に安住させること…

夜に咲く花

寝る前1分の「エセ―」 われわれの生命はどこで終ろうとそれはそこで全部なのだ。 人生の有用さはその長さにあるのではなく使い方にある。 長生きしてもほとんど生きなかった者もいる。 この世にいる間はこのことを心にとめておけ。 おまえたちが十分に生き…

木の花は?

この木なんの木? 「まことに花の美しくあわれなる、 これに越えたるはあらじ。 雨に悩める、露にうるほえる、 いづれ艶なるおもむきならぬは無し。」 …露伴翁 この木は桜に非ず、楊貴妃にも例えられる 海棠(かいどう)でした ^ ^ 毎日、コロナ、コロナと鬱…

昭和の記憶 丸の内 25時

寝る前1分の「エセ―」 軽い悲しみは語り、深い悲しみは沈黙する。

昭和の記憶 丸の内辺り2

・ 寝る前1分の「エセ―」 悲しみのために石と化した。 われわれの力を越えるいろいろな出来事に圧倒されたときに 呆然として声も出せず、耳も聞こえなくなるあの沈鬱な痴呆 状態を表現しようとしたのである。 実際、悲しみの力が極まると魂全体を驚愕させ、…

昭和の記憶 丸の内辺り

寝る前1分の「エセ―」 焦げ具合を言いうる者は弱い火に焼かれている者だ。 と恋人たちは言って、堪えがたい恋の焔をこう表現しようとする。 恋はあわれな私からすべての感覚を奪った。なぜならレスビアよ、 私はおまえに会うと、とたんに理性を失い、言うべ…

昭和の記憶 丸の内の月?

読者よ、これは正直一途の書物である。はじめにことわっておくが、 これを書いた私の目的はわが家だけの、私的なものでしかない。あ なたの用に役立てることも、私の栄誉を輝かすこともいっさい考え なかった。そういう試みは私の力に余ることだ。私はこれを…

昭和の記憶 黄昏

昭和の記憶 公害原論って !?

湾岸都市の黄昏時

昭和の記憶 「空き部屋あります」

簡易宿所街 裸の町? 空き部屋あります … 今日の仕事はつらかった あとは焼酎をあおるだけ 岡林の歌が似合いそうな町だ。

昭和の記憶 ヨコハマ黄昏

黄昏のベニスとは 似ても似つかぬ港町十三番地の夕暮れ。

昭和の記憶 そんな時代もあったねと…

仕事は終えたのだろうか。一台の自転車がトラックの消えた埠頭をぐるり…ぐるりと周る。 そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう まわる まわる…