chikusai diary

昭和という時代に どこででも見ることができた風景を投稿しています。

昭和の記憶 はじめての「エール」 (TOKYO1964)

 

アベベに続いて国立競技場に入ってきたのは円谷幸吉だった。

そのすぐ後ろにはヒートリーが迫っていた。 

「円谷頑張れ!」「円谷頑張れ!」テレビに向って声援をおくった。

声援は、悲痛な叫びにかわった…

 

 

わたしが円谷幸吉を間近で見たのは中学生のときであった。
自衛隊の制服を着、胸には銅メダルが鈍く光っていた。頭髪
を短く刈上げた姿は、朴訥で真面目な田舎出の青年という感
じがした。
講堂の壇上でどのようなことを話されたかは、まったく覚え
ていない。この目で円谷幸吉の姿を見たのはそれが最初で最
後であった。訃報を聞いたのはそれから四年後のことだ。
 

   

 

父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。

干し柿 もちも美味しうございました。

敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。

勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。

巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。

喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。

又いつも洗濯ありがとうございました。

幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。

モンゴいか美味しうございました。

正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。

幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、

良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、

光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、

幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、

立派な人になってください。

 

父上様母上様 

幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。

何卒 お許し下さい。

気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。

幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。

 

 

ご冥福をお祈り申し上げます