本州の北端青森県津軽地方の夏は短い。古くから幾たびも冷害による飢饉に苦しんだという記録が残されている。そんな記録が菅江真澄の日記に詳しく書かれている。
半世紀ほど前、そんな津軽の風土と歴史に興味をもち、カメラのレンズを通して農耕の現場を、自然を、生活を観察してみようと試みた。長い間放置されていたモノクロームのネガは予想に違わず一部像の消滅、カブリ、べたつきなど経年による劣化が相当に進んでいた。今では画像編集ソフトという便利なものがあり、素人ながら何とか人様にお見せするものが出来たのではないかと思い、長年眠っていた写真に一度は陽の目を見せてあげたいという“親心“が沸き起こったのである。
で『津軽紀行』という題でまとめていた物の、今回は“夏”編である(以前書いたように撮影には東京から津軽地方へ二年間通い続けた。すでに掲載済みの春編、後に掲載する秋ー冬編と併せて見ていただけると撮影者冥利に尽きる)。
今回掲載する祭りは「川倉賽の河原地蔵尊例大祭」が正しい呼び方のようである。ねぶた祭を除けば典型的な津軽地方の夏を表す祭りではないかと、ひとり思っている。
悲哀あり、歓喜ありの人間ドラマがここにある、といったなら言い過ぎだろうか。
お堂の前では草鞋などのお供え物が売られている。草鞋を手にし、あれこれ選ぶお婆さん。多くの肉親を失ったのだろうか。
「川倉賽の河原地蔵尊例大祭」は、毎年6月22日~24日(陰暦)の三日間行われる。
地蔵尊堂の内外は 沢山の「善男善女」で賑わっている。
地蔵尊堂の東側には池に向かって坂があり、そこが賽の河原と呼ばれている場所である。津軽地方では方々に賽の河原があり、幼い子を亡くすとそこに地蔵を祀る風習がある。また飢饉で行き倒れになった亡骸を葬った窪地もいまに残っている。
撮影年:昭和40年代
※続きます