chikusai diary

昭和という時代に どこででも見ることができた風景を投稿しています。

丹後半島巡礼の道

ご無沙汰していました。世間が騒がしくなり、ブログ作成から遠ざかっていました。先日、連れ合いが元伊勢籠神社にお参りしたいというので天橋立から元伊勢籠神社・真名井神社などへ「巡礼の旅」に出かけてきました。その報告といたしますので、しばしお付合…

雪解けの頃 ー 火の見櫓の見える風景(津軽シリーズ最終回)

茅葺き屋根の家の右側に火の見櫓が見える。このあたりの集落も好きな集落のひとつで、とりわけ秋から冬にかけての光景は印象的だった。都会育ちの者には、驚くような光景を目にすることがある。寂しい風景と思い目を背ける者がいれば、郷愁を感じる風景と思…

雪解けの頃 ー 春霞

津軽鉄道の見える風景 津軽平野を歩いていると周りは水田ばかり。どういうわけか写した写真には、津軽鉄道の線路が数多く入っている。意図して撮影したわけではなく、直感で構図を決めた中に入っていただけである。それと水田の中にやたらと電柱が立っている…

雪解けの頃 ー 泥濘の道をゆく

泥濘の道は舗装前の国道339号線。撮影地点は北津軽郡中泊町だったと記憶する。すぐ西には十三湖がある。このお婆さんとしばらくの間連れ添って歩いたら、商店に買物に入った。商店主と会話をしているところを撮影したけど、手ブレ写真だったのでボツに。…

林床に咲く花 ー もっと光を!

北の国からは、まだまだ雪の便りが聞かれる今日この頃、京都市内の植物園では春の訪れを知らせるかのように林床に咲く可憐な花が姿を見せるようになった。 フクジュソウ セツブンソウ ユキワリイチゲ ミスミソウ(ユキワリソウ?) ついでに…

雪解けの頃 ー 買い物帰り

津軽の婆さま(金木町藤枝集落) わたしがまだ若かった頃、何を思ったのか陸奥を二年ほど行脚 していた時期がある。北面の武士だった方を気取ったわけでは ない。文武両道どころか詩の才能は無い、音楽の才能もない、 あるのは初月給で購入した中古の一眼レ…

津軽野を馬橇がゆく

馬そり 昭和四十年代、まだまだ馬が活躍していた津軽地方。わたしが幼い頃(昭和二十年代)、馬は家族の一員であった。母屋の北の端、台所の隣が馬の部屋であった。主に農耕に使われていた馬、いつの間にか馬の姿は消えていた。

陽のあたらない村・袰月

ほろづき村 陽のあたらない村袰月( ほろづき )という土地の名を知ったのは、詩集『まるめろ』を読んだことによる。 袰月へは、津軽半島最北端の駅、三厩(みんまや)から海沿いの雪道を 二時間は歩いたであろうか。集落は北に津軽海峡、道路をはさんで南側…

北野天満宮 ー 匂ひおこせよ梅の花

楼 門 北の国からは大雪の便りがとどくこの頃、西国では梅の開花が聞かれるようになった。菅原道真公を祀る北野天満宮では梅の匂いはただよっているだろうか、ふとそんな思いに囚われたので敬老パス(無料ではない!)を持って市バスに乗ったのは昨日のこと…

カッチョと防風林のある風景 ー 金木町藤枝集落

茅葺屋根に雪積る日 しんしんと雪の降る中を歩く。肌を刺すような風はなかった。農家の庭先や母屋の軒下に洗濯物が干されている。洗濯物が乾くまでに幾日かかるだろうか。脱水機どころか全自動洗濯機のなかった時代には、木製のタライで固形石鹸を用いて手洗…

雪遊び

金木町嘉瀬(現 五所川原市)の里山で出会った子どもたち。 山の中腹にスキージャンプ台を造り、子どものジャンプと は思えない高さで飛んでいた。この中からオリンピック選 手は出ただろうか。すでに孫のいる世代になっているだろ う。もしかしたらこの中に…

地吹雪の去った朝

村 へ 集落のほかには、見渡す限り雪原が広がっている。この雪原は、春には 水が引かれ見事なまでの水田と化し、蛙の大合唱を聞くことができる。 集落に近づいた頃には青空が広がってきた。道路が雪の吹きだまりに なっていて、歩くのが大変だ。寒いけれど、…

お出かけ日和

買物帰り つかの間の晴れ間に買物帰りだろうか。自家用車を持っている家はまだ少ない時代、 一家の主婦の買物は大変だ。この後、顔写真を撮らせてもらう。 吹雪の去る日を待っていたように、集落の人々のいそいそと出かける姿 をよく見かけた。雪原に朝日が…

視界不良だ! ピントが…

北へ向う 田んぼ道で 視界不良だ! あたりは暗闇に包まれたよう。吹き飛ばされそうな、凄まじい風の威力である。私の格好はといえば、カーキー色の綿のジャケットにジーパン、それにゴム長靴という出で立ち。とんでもなく寒いが、二十歳という若さなので耐え…

海鳴りが聞える

時化る日本海・脇元海鳴り 歩いている者など ほとんどいない集落、一人のご婦人が海辺で 作業をしていた。 流れ着いた海藻を採っているのであろうか。 バケツらしき物を手に持ち、海に向っている姿が印象に残って いる。あたりには漁師の作業小屋だったと思…

足早に歩く女

このご婦人に連れ立って 少しの間写真を撮影した。向うに見える家 が彼女の住む家であり、写真に見える戸口の もう一つ左側の戸口か ら家に入って行った。

風が吹き荒れる土地

最果ての地吹雪・脇元 冬の津軽平野を歩いて、いまだかつてこの地ほど荒ぶれた地吹雪を 経験したことはなかった。見ての通り積雪は見当たらない。何故な ら積もるわけがないのである。その理由は、日本海を吹き渡る風が 権現崎の半島に沿いながらこの集落を…

風雪強いなか忽然とミイラ男あらわる?

地吹雪の中をゆく津軽の人々 津軽平野の北に位置する中泊町の目抜き通りであろうか。 吹雪き始めた通りを歩きながら道行く人を見つめる。 強い風に煽られる角巻を抱え走り去るご婦人がいる。悠然 と大通りを歩く、白いタオルを頭から顔にかけて巻きミイ ラ男…

婆さま こんな日にどこへ行く?

吹雪く日に出歩く婆さま。のっぴきならない用事なのだろうか。杖をついて歩いても、足元の雪は固められていて滑りやすいので用心用心。車は昼間でもライトを点灯して走っている。

中泊に吹く風

津軽の冬 - 地吹雪・中泊町 通りすがりの者には美しいとさえ思える地吹雪。この土地に住む者にとっては、雪と日本海を越えて渡ってくる強い風は招かざる客であろう。この日、積雪量は少なかったが強力な海風には心底参った。中泊町を起点に徒歩で金木町へ向…

津軽美人 それとも秋田美人?

吹雪の日に 津軽の女は逞しい !?津軽野を歩いていると天気の良い日に限らず、地吹雪の日でも出歩く女たちと出会った。なにもこんな日に出歩かなくても、と旅人の目には映るのだが、土地の女は天候など気にせず出かけるのである。ふだんは他人に声をかけるこ…

大通りを つむじ風が吹き抜ける

メインストリート 西部劇のワンシーンだろうか、一人のガンマンがマントを風になびかせ風雪の中を歩いてくる姿はまるで映画のように見えなくもない。折しも傍らの映画館では「真昼の決闘」を上映していた(?)。

吼える白い狼!? ー 津軽の方言詩

【 吹 雪 】 ワ ラ ハ ド 子供等ェ グ 早ぐど寝でまれ ほらァ! オウガメ あれァ白い狼ァ吼えで ハ ア 駆ヶで歩りてらンだド スマ まぎの隅がら ジコ ババ 死ンだ爺ド媼 睨めでるド ワ ラ ハ ド 子供等ェ グ 早ぐど寝でまれ ※ 方言詩集『まるめろ』高木恭造著より 「吹雪」…

子守歌流れる小泊道

子守歌が聞える 寒空のなか、子どもを背負った女が歩いている。物悲しい歌が風の音にまじり聞えてくる。 守りもいやがる 盆から先にや 雪もちらつくし 子も泣くし 盆がきたとて なにうれしかろ 帷子(かたびら)はなし 帯はなし この子よう泣く 守りをばいじ…

海鳴りが聞える

権現崎を望む 廃船の傍らに馬 廃船につながれているのだろうか、馬だけがいる光景。それにしても砂浜には大量のごみが打ち上げられている。※写真は十三湖北部で撮影したように思う

冬支度

老夫婦が買物を済ませ我が家に帰るところであろうか。リヤカーには少しばかりの荷物、お婆さんの手には醤油瓶か酒瓶が下げられている。撮影年:昭和40年代撮影地:中泊付近

吉田松陰や菅江真澄も訪れた本州最果ての土地 小泊?

小泊から隠れ里下前、そして権現崎へ 小泊村は遠かった! 昔日の小泊村は遠かった。竜飛崎も遠かったが、むしろ小泊の方がずっ と遠い。東京からの話である。今では新幹線の駅がそう遠くない所にで きたのでだいぶ所用時間は短くなった。 わたしは小泊へは三…

歴史に埋もれた写真家 ー 横内勝司写真展「時を超えて」の紹介

戦前の信州松本にひとりのアマチュア写真家がいた。卓越した技術と人並外れた感性でガラス乾板に見事な映像を刻みこんでいたという。惜しむらくも昭和11年に33歳の若さで病死。かれの存在とガラス乾板は時代から長く忘れ去られていたが、70年後に屋根裏でガ…

縄文人の日々の生活が世界文化遺産になった?(十三湊と三内と縄文遺跡)

津軽は縄文遺跡の宝庫か!近年、“縄文”や“土偶”をテーマとした「美術展」が多く開催展示されるようになり、テレビや雑誌にも話題を提供している。その縄文遺跡だが亀ヶ岡遺跡、三内丸山遺跡をはじめ青森県でたくさん発見されているのだ。一万年前、この地方…

冬の気配 - 十三湖

漁具を収納している小屋だろうか。粗末な小屋のわきを歩いて行くと廃船 だろうか陸に放置された船が二艘ばかり見えた。あたりはゴミ捨て場のよ うな様相を呈していた。 菅江真澄と十三湖 十三湖周辺の風景は物悲しい。 かつて(中世鎌倉時代)この周辺には、…