chikusai diary

昭和という時代に どこででも見ることができた風景を投稿しています。

仏ヶ浦への道は遠かった!

 

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宇曽利湖



恐山から釜臥山へ
恐山を後にしたわたしがどこへ向ったかといえば仏ヶ浦である。恐山と仏ヶ浦は一対で考えなければならない、と聞いていたからだ。本来なら恐山からは、山中を西の方角に歩いて仏ヶ浦に至ることが中世の優婆塞(うばそく)のしきたりだったようなのだ。しかし江戸時代にはもはやその道は消え失せていた。役行者ならいざ知らず、ろくに登山の経験もないわたしには無理というもの(冒険家なら試みる価値があるかも)。

なので朝に恐山を立ち、釜臥山を経て大湊へ出てその地で一泊、翌日にバスで脇野沢村へ、そこから船で仏ヶ浦へ行く計画を立てていた。ところが事はそう簡単ではなかった。無鉄砲なわたしは、ろくな地図も持たず釜臥山の山頂を目指したのだった。

まず宇曽利湖畔を南に歩き、釜臥山に抜ける道を探した。山中に入る道らしき踏み跡があったので、たぶんこれだろうと考え立入った。ところが十分も登ると道は消えてしまったのだ。その場で地図を広げて考えこんでいると獣のいる気配がした。慌ててもと来た道を駆け下りたのだが、その時にカメラを地面に落としてしまった。一眼レフのミラーは上がったまま、シャッターは切れないという事態に陥った。

でもこの時は、予備にもう一台同じカメラ(兄の物)を持っていたので、これが幸いして撮影を続けることができた。



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釜臥山遠望



無茶にも程がある?
もはや地図は当てにならないので勘(!)を頼りに釜臥山山頂を目指した。初めて立入る山でコンパスも持たずに無茶なことをしたものだ。そして踏み跡を見つけ、枝に巻いてあるテープが目に入ったので、これは登山道の目印だろう、ぐらいに考えて上へ上へと登る。登ること数時間、山頂の展望台(アンテナがあったような覚えがある)にたどり着いた。

その時の時刻はというと夕方の五時であった。大湊市街地まではまだ数キロあるし、夕闇が迫ってきているので山頂の小屋の軒下で泊まろうか迷ったが下山することにした。下山(林道)途中で日は暮れるし、懐中電灯を持っていないので、星の光を道案内に林道をてくてく歩く。そして大湊に着いたのは午後七時を回っていた(アホの見本ですハイ)。
※続きます。


 

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仏ヶ浦

 
撮影年:1971



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