chikusai diary

昭和という時代に どこででも見ることができた風景を投稿しています。

フィルム

太宰治の津軽

お 山 五穀豊穣を願う山である。 岩木山は津軽平野のどの場所からみても美しい。金木町出身の太宰治に よれば、「… 岩木山が、満目の水田の尽きるところに、ふわりと浮んで いる。実際、軽く浮んでいる感じなのである。したたるほど真っ蒼で、 富士山よりも…

陸奥に秋風の吹くにつけても “あなめ あなめ”

小野(小町)とは言はじススキ生えけり 豊かな沃野・津軽野のかなたに岩木山がそびえ、流れる雲と冷涼な風が これから訪れるであろう冬を予感させる。 津軽野を歩いていると道端に一定の間隔をおいてお地蔵さんが 祀られていることに気づく(これは京都でも…

家路 ー 津軽地方と菅江真澄、それにイザベラ・バードのこと

家路と旅路わたしが津軽平野を彷徨したのは昭和四十年代半ば(1970年代)だった。わずか二年ほどだった。それよりおおよそ百八十余年前の天明四年(1784~)から、四十五年間を旅に人生を送った人物がいた。その人の名は菅江真澄。偶然ではあったが、その人…

津軽平野に陽はまた昇る

ちょうど今頃の時節だろうか、津軽平野を縦横に歩いていると夫婦や親子で働いている姿をよく見かけたものだ。まれに数人の集団を見ることがあったので撮影の際に話をすることがあった。すると北海道から出稼ぎに来ている、という青年がいた。今撮った写真が…

雲は流れる ポツンと一軒家の上を

平野の中にポツンと一軒家 秋の刈り入れ時期、平野の上には大陸方面から大きな雲の塊が次から次へと 流れてくる。西風が強く吹き、津軽平野の風物詩「野焼き」の煙が田んぼの 上を這うように流れる。 田んぼに残る黒々とした野焼きの跡 茅葺屋根の煙出しの形…

津軽富士には津軽美人が似合う?

富士には月見草がよく似合う 転じて… 津軽富士をバックに刈り入れ作業 夫婦での作業 わたしを撮ってどうするの?

収穫の夕

昭和時代の田園風景 荷物を斜陽館に預け、夕食までの間 稲刈り風景を撮影に出かけた。 日が西に沈みかけの時刻、コンバインでの脱穀作業に従事する人影 が見えた。写真は数枚撮影した中の一枚である。まるで演出したか のように人物が異なる方角を見ている。…

チューリップのアップリケ⁉

女友だち

昭和エレジー

自画像

九艘泊への道(世界最北限の猿に会う?)

漁から帰ってきたのだろうか。世界最北限に生息するニホンザルを観察するため、脇野沢から九艘泊へ歩いて向かう途中に見かけた光景である。遠くに見える山並みは津軽半島である。 脇野沢帰帆 本州最果ての土地十代のころ、二度ほど下北半島を巡ったことがあ…

押すなよ! 絶対押すなよ!

船団子? 押すな 押すなの大盛況のイカ釣り漁船。状況はちがうけど、ダチョウ俱楽部 上島氏の あの声がいまにも聞こえてきそうだ(笑)。脇野沢村のニホンザルは世界最北限の地に生息する猿として有名だが、北風吹きすさぶ寒い冬には一カ所に集まり(猿団子…

下風呂温泉夕景(風間浦村)

下風呂漁港 秋雨前線か、それとも梅雨前線がふたたび活発化してきたというのか。写真の風間浦村では、今回の大雨で道路はズタズタに寸断され、橋は濁流により破壊されてしまったと報道で知った。わたしに出来ることといったら、一刻も早く元通りの生活ができ…

釣りの帰り

お兄ちゃん、あの人うちらの写真撮ってはるわ。ああ 恥ずかし… 脇野沢村で出会った きょうだい 南部地方それも下北半島の南西部の方言は知らないので関西弁(これもうまく使えないけれど)で…。家族に言わせると、田舎から電話がかかってくると突然東北弁(…

仏ヶ浦で見たものは極楽 それとも地獄?

屏風岩付近 仏ヶ浦の奇岩は火山活動により作られ、菅江真澄も感嘆した修行の場 昭和四十年代、仏ヶ浦へ行くには脇野沢の港から小型の遊覧船に乗り平舘海峡を北上するしかなかった。海の上から東側の下北半島を眺めると、急峻な山を後ろにひかえ、所々に小さ…

川倉地蔵尊例大祭 — イタコの “口寄せ” に津軽の風土を想う

イタコの “口寄せ” イタコと呼ぶ霊媒者が死者の霊を冥途から呼び出し、イタコの口を通じて語りはじめる。 あちらこちらのテントの下でイタコの口寄せが行われる。語りを聞き、しんみりとしたり、涙を流す姿が見られる。人気のあるイタコは順番待ちの時間が長…

川倉地蔵尊例大祭 — 賽の河原で亡き子を偲ぶ

卒塔婆に供物を奉げる 地蔵尊堂の外には多くの卒塔婆や後生車が建っている。 賽の河原で供物を奉げる 参詣者からお布施をいただく僧侶姿の者がいる。 賽の河原を急いでどこへ行く? この近くに、飢饉で行き倒れになった者を葬る「イゴク穴」と呼ぶ穴があった…

川倉地蔵尊例大祭 — 農民の顔と哀しみを地蔵堂に知る

参詣する津軽女の顔 農民の顔 参詣の女たちが供養の諷誦文(ふうじゅもん)と草鞋を納める この写真を見た福島菊次郎氏は「農民の顔だ、漁民の顔とはちがう」といった。 草履を供物として奉げるのは、故人が三途の川を渡るには草鞋が必要ということか。 地蔵…

川倉地蔵尊例大祭 プロローグ

岩木川の彼方には津軽富士 本州の北端青森県津軽地方の夏は短い。古くから幾たびも冷害による飢饉に苦しんだという記録が残されている。そんな記録が菅江真澄の日記に詳しく書かれている。 半世紀ほど前、そんな津軽の風土と歴史に興味をもち、カメラのレン…

上高地の朝 ― 白樺の森と焼岳

大正池ホテルが冬季、年末年始の数日間だけ営業していたころ、バスの終点沢渡で降り、雪道を四時間ほどかけてホテルまで歩いたものだ。道中、北風が頬を打ちとても寒い思いをした覚えがある。夜明け前、大正池の畔で奥穂高・西穂高の峰に朝日があたるのを待…

伯耆大山のブナ林を彷徨う

夏道登山道を登り六合目の避難小屋で休憩をする。ここから上の方にはブナ林はありそうもないので早々と下山を始める。途中、ブナ林の中に入り込み撮影を開始する。時折林内に日が差し込んで下界が垣間見える。ところが これと言って絵になりそうなブナが見当…

伯耆大山 夏道登山道のブナを撮る

二日目の朝、食事を済ませ昼のお弁当をリュックに詰めて登山道へ向った。先行者らしき足跡が僅かに付いていた。時おり雪が横殴りに吹きつけてくる。樹林帯なのでさほど苦にはならないけれど、標高が高くなるにつれ頬が痛くなる。道々、奇怪な枝ぶりをしたブ…

伯耆大山のブナ林を歩く

三鈷峰 古い話ばかりで恐縮のいたりだが、体が不自由になった今では、山に登ることも出来かねるので、三十年前のことを語ろう。あれは一年が終わりを告げようとしていた頃であった。雪がまったく降らない寂しいクリスマスを迎えた日に、伯耆大山では積雪があ…

京都北山 巨樹の森を冬に訪ねてみた

京都市北部、いわゆる北山と呼ばれる地域に鬱蒼としたアシウスギの巨樹群があるとは、京都市民にとっても俄かには信じ難いことかもしれない。だいぶ以前のこと、クリスマスの日に出町柳から京都バスに乗り出かけてみた。アシウスギ(ウラスギ)とは京都の庭…

時計のせい?

呪いの時計? ― 縞枯山荘で 北八ヶ岳での出来事。前日 昼間の気温はマイナス8度だった。明朝 御来光を撮ろうと、腕時計のアラームを夜明け前に合わせ寝坊しないよう耳元に置いて寝た。翌朝、ふと目覚めたときには、外は明るかった。靴ひもを結ぶのも もどか…

京都北山 ― 井ノ口山ウラスギ群生地の秋

紅葉の美しい季節に井ノ口山を歩く バス停から歩いて二時間足らずでこの場所(片波川源流域伏条台杉群生地)を訪れることができるのだから嬉しい。今までこの場所で誰とも出会ったことがないのが、とても不思議な気がする。以前は貴重な森とは思われていなか…

京都北山 ― 芦生の森の奥深く

芦生の森 由良川の源流部である芦生(あしう)は、かつては西日本最後の秘境と言われていた。京都府、滋賀県、福井県の境に位置し、植生は日本海側の気候と太平洋側の植物が共存しており、学術上貴重な種が多数存在するという。アシウスギ、ブナ、ミズナラ、…

晩秋の京都北山 ― 峠道を歩く

佐々里峠通い わたしが一年を通じてよく通ったところは佐々里峠だろうか。 標高八百メートルに満たない峠で、今は舗装された道路が開通 していて積雪期でもそこを歩けば楽に登ることができる。この 道路は広河原と佐々里を結ぶ地元民念願の道路で、開通を記…

京都 北山の夕暮れ

佐々里峠より西の方角を望む 京都大学芦生演習林からの帰り道、峠の西側で日が落ちて来た。バス停まではあと一時間はかかるだろう。撮影していたら最終バスには間に合わない。えい ままよ、とカメラを取り出し三脚に取り付けた。 ZENZA BRONICA GS-1 chikusa…

涸沢カールの朝

冬間近な涸沢 初冠雪の写真を撮りたくて涸沢へ向った。夜行列車 “ちくま” に乗っている間に雪は降ったようだ。小屋仕舞いをしている涸沢ロッジに泊まった翌朝、音もなく あたりは霧につつまれた。

ヨセミテ国立公園?

晩秋のころ 奥上高地で撮影しました。