chikusai diary

昭和という時代に どこででも見ることができた風景を投稿しています。

雪舟も描いた巡礼の道と五重塔 ー 成相山-成相寺(国宝・天橋立図)

 

かの画聖-雪舟えがくところの「天橋立図」をTV番組で見てから、その図の最上部に描かれていた成相寺(なりあいじ)を機会があれば訪ねてみたいと思っていた。その機会は早くもやってきた。



成相寺山門


成相寺日本三景の一つである天橋立を眼下に望む景勝地にあった。同寺は元もとは日本古来の山岳宗教の修験場だという。本当の「股のぞき」とはこの山から眺めた松並木の景色が天に懸かる橋のように見えたことから「天橋立」の名前がついたとか。



派手なようで地味な山門?




吽形の仁王像-渋い顔してはるわ

STOP コロナ!  それとも GO TO トラベル…? そんな姿に見えた仁王像。


境内側から見た山門(スマートに見える)




モミジの参道がつづく(短い距離だけど)




スッキリとした姿の五重塔


鎌倉時代の形式を再現したものという。「底なし沼」を前景にして撮影。


遠景に天橋立を入れた写真も撮れる場所があるようだ(後日、気づいた)。古い時代の建物だと思っていたら近年再建されたようだ。雪舟が描いた五重塔ではなかったのだ。



衝かずの鐘


悲しい言い伝えがある鐘楼。鋳込みの「湯」の中に乳呑児が誤って落ちてしまい、鋳上った鐘を衝くと、乳呑児の悲しい鳴き声が聞こえてくるのだという。以来、乳呑児の成仏を願い、この鐘を衝くことを止めたのだと伝わる。



まもなく本堂




本 堂


現本堂は安永三年(1774)の再建。本尊の木造聖観世音菩薩は平安期のものという。ご本尊を拝む人は美しい人となり、特に女性の想いを叶える観音様らしい。小野小町が信仰したというから、観音信仰に篤い清少納言も参詣に来たかも?



本堂内は撮影禁止だけどこの彫刻だけは「可」

ご利益があるのか、それともSNSなどで広めて…ということかな?


本堂の傍らには石仏や宝篋印塔




五輪塔などが…




赤い布にはどんな意味が?


帰りは参道に幾つかあるバス乗り場から傘松公園まで行き、今度はケーブルではなくリフトで下山。荷物が一杯あったので怖い思いをしたわい。


傘松公園より阿蘇海と丹後国分寺跡の方角を望む


アクセスなど
丹後国分寺跡へも行きたかったが、少々離れた場所にあり、時間の都合で今回はパス。
成相寺へ行くには自家用車の方は寺のすぐ近くまで行ける(駐車場有)ので拝観料のみ必要。ケーブルを降りた傘松公園からは、登山バスが30分おきに出ている。往復バス代と拝観料込みで千円だったような。本堂の上には眺めの良い場所に「美人喫茶」とか言うものがあるようだ、後日気づいた^^;

しかし、雪舟は「天橋立図」を現地に行かずに描いたという説もある。相当デフォルメされている絵とはいえ、結構好きな絵だなぁ。周防の大内氏に仕えた禅僧が描いた諸国図と言ったならいいだろうか。この地には丹後の国分寺が置かれていたところだし、日本海側から都への入口でもある。冠島が描かれていることにも少々違和感があるし、丹後国分寺付近を描いた細切れの「天橋立図」なんて……妄想がふくらむなぁ。

※もう少しつづきます。


www.amanohashidate.info







白砂青松の道をゆく ー 天橋立

 

天橋立の砂浜(北の方角を望む)


日本三景の一つである天橋立を訪ねるのは実に四十余年ぶりである。
その時は想像と違っていたのでがっかりして帰った覚えがある。
あの頃は天橋立にはゴミが散乱していたので、砂州を歩いて対岸に
渡る気持ちが萎えてしまい、途中で引き返してしまった。


天橋立より阿蘇海を望む

対岸の元伊勢籠神社へ船でゆき、帰りは徒歩かレンタル自転車で引き返す手もある
(お得な切符もある)。


チャリで対岸の元伊勢籠神社へ向う








天橋立神社参道で




天橋立神社

途中に天橋立神社が鎮座している。


与謝蕪村の句碑(蕪村はこの地に四年住んでいた)


    はし立や松は月日のこぼれ種


 

お参りの帰り道

写真後方(撮影者の背中側)に元伊勢籠神社が鎮座。
前方に天橋立の松並木が見える。


傘松公園より宮津湾・若狭湾を望む

対岸に見える白亜のホテルに格安で泊まることが出来た。
ホテルからの宮津湾の眺めはなかなかのもの。


お馴染み傘松公園からの展望


※つづきます。