近ごろ永田町あたりで、賭けマージャン辞任で「訓告処分」は
どうのこうのと騒がしい。
今日『エセ―』を読んでいたところ、またまた面白い文章に出
あったので紹介したい。
― 寝る前1分の「エセ―」―
「わが国の高等法院のあるものは、法官を採用するに当たって、
知識だけを試験する。また、別の高等法院はそれ以外に、何か
の訴訟の判決をさせてみて、良識の試験をする。
私は後者の方法がずっとすぐれていると思う。また、知識も判
断も共に必要で、両方を兼ね備えねばならないが、本当を言う
と、知識は判断よりも大事ではないと思う。後者は前者なしで
もすむが、前者は後者なしにはすまない。というのは、ギリシ
ャの詩に、
判断力を伴わない学問が何になるか、
とあるように、分別がなければ、学問は何の役にも立たないか
らである。どうか、われわれの正義が守られるために、この法
官連中が知識と同時に判断と良心をも十分に身につけるように
してほしいものである。
…ところで知識を魂に付着させるのではいけない。合体させな
ければならない。知識で魂を濡らすのではいけない。浸み込ま
せなければならない。
もしも知識が魂を変えないなら、そして不完全な状態を改善し
ないなら、たしかに、そのままにほうっておくほうがずっとま
しだ。知識は危険な剣である。力の弱い、使い方を知らない人
に持たせるとその人を妨げ、傷つける。だから何も学ばない方
がよかった。」
最後の文面はキツイなぁ。