久しぶりに「エセ―」を読んでいたところ面白い文にであった。
「もしもわれわれの魂が、学問をしたために一段と正しく歩むように
ならないなら、また、そのためにわれわれの判断が一段と健全になら
ないなら、私は私の生徒たちにポーム遊びをして時を過ごさせるほう
がましだと思う。そうすれば、すくなくとも体だけはいっそう元気に
なるだろうから。
十五、六年も費やして学校で勉強して帰って来た生徒を見るがよい。
これぐらい使いものにならない者はない。
収めた利益といえばせいぜい、ラテン語とギリシア語を覚えたために、
家を出るときよりもいっそう高慢で、うぬぼれがつよくなったぐらい
のものだ。魂を充実させて帰るはずの者が、それをふくらませてきた
だけだ。大きくするかわりにふくらませただけだ。」